第三十年四月五日2017年04月05日 18:37

四月五日はブジの子祭司エゼキエルが神の幻を見た日。


残念なことには、私が戦争に征っている最中に留守宅は戦争にあって、今はこのアルバムは残っておりませんが、私が長女の生まれた翌年に今はなくなった父に抱かれた長女の写真を昭和28年4月5日(999)にとったものが、我が家のアルバムに貼ってあります。
(三木野吉 「潜在能力点火法 (光の道しるべ 改題) 理論編I 78ページ)

ここに書いてある日附は大変珍しいことに私の生まれた月日が書かれてあるんです。つくづく不思議な感じがします。
(三木野吉 「潜在能力点火法 (光の道しるべ 改題) 理論編I 81ページ)

あなたの誕生日は平凡どころか、とんでもない日を選んであなたは生まれて来たのですね。あなたに、この新潟の地でめぐり会った意味が今ハッキリわかったように私には思えますよ(三木野吉 「潜在能力点火法 (光の道しるべ 改題) 理論編I 82ページ)

エゼキエル書 第1章

第三十年四月五日に、わたしがケバル川のほとりで、捕囚の人々のうちにいた時、天が開けて、神の幻を見た。 これはエホヤキン王の捕らえ移された第五年であって、その月の五日に、 主の言葉がケバル川のほとり、カルデヤ人の地でブジの子祭司エゼキエルに臨み、主の手がその所で彼の上にあった。
http://hik.tobiiro.jp/etc/ezekierusyo.htm

生き物の戸籍
http://hik.tobiiro.jp/hp3/ikimononokoseki.htm

考える(循環)2017年04月30日 17:44

池田晶子さんの「人生のほんとう」という本を読み始めているのだが、
興味深い箇所があった。

- 引用 -
当たり前だと思い込んでいたことが、なぜ当たり前なのかを考える。
考えるとは自覚するということです。考えて理解すると、
「ああ、なんだ、だから当たり前なんだ」と納得出来る。
つまり、一回りして、また元に戻ってくるわけです。
すると同じ当たり前が、当たり前として自覚出来る。
こういう自覚の構造ができあがるわけで、
これが当たり前を生きることの強さです。
(池田晶子 「人生のほんとう」 18ページ)

<繰り返し考える> は、3 と読める。
納得して一回りして戻ってくる。
<当たり前が自覚できる> は、5 αでありωであるとも読める。

あと、357 -> 6 で、
6は智性、循環、自力

考えることを繰り返して(3)、自覚する(5)は、循環(357)の中に在る
ような感じがしている。
ただの繰り返し(3)は循環ではなく、
戻ってきて自覚する(5)ことによって
循環(357)していくのかもしれない。